石鍋の補修材

  奄美大島の東にある島、喜界島・・・鹿児島県大島郡喜界町前畑遺跡出土の滑石製品の一部だ。 「バレン状製(石)品」などと呼ばれる石鍋の二次加工品で、以前は用途不明とされてきたのだが、近年では石鍋にあいた孔の補修部品としての用途が確立してきた。それにしても薩南諸島は石鍋などの滑石製品の出土が多い地域だと気づかされる。※滑石製品の図は『前畑・小ハネ遺跡』(喜界町埋蔵文化財発掘調査報告書第11集)2...続きを読む >

広がる土器片蓋の世界

  南部九州地域で孤高の存在だった椎屋形第2遺跡の「箱式土器片棺墓」。その系譜関係など一切が不明だったから、その評価については大分県宇佐市・野口遺跡(中期初頭~前半頃)、樋尻道遺跡(中期後葉)の土壙墓なんぞ他地域の例を引っ張ってきて牽強付会せざるを得なかったわけだ。(その足跡はここ→死者を納める  1) おかげさまで、土器による遮蔽の意味や結界の法則などを理解する端緒にたどり着いたのではないかと...続きを読む >

女性の墓?

  『天神段遺跡1』(公益財団法人鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財センター発掘調査報告書第3集)2015より引用一部改変報告書探索脱線シリーズ これは鹿児島県曽於郡大崎町の天神段遺跡で見つかった12世紀末から13世紀初頭頃の土壙墓(1号)である。おそらく屋敷墓だろうと推定されている。 細かいことは置いといて、この図面を見たときに最初に思ったのは宮崎県宮崎市高岡町学頭遺跡の土壙墓にそっくりだと言うこと。学...続きを読む >

幻の「どりこの」

   これは鹿児島県鹿屋市の前畑遺跡から出土したガラス瓶だ。 前畑遺跡は旧海軍鹿屋基地の一角にあり、誘導路などの基地遺構も発掘されていて、このガラス瓶は掩体壕跡にあったという。ガラス瓶の肩の部分に「TRADE MARK DURIKONO」、底部に「登録商標 どりこの」と標記されていて、胴部の長方形や縦型の枠内にラベルが貼られていたようだ。 「どりこの」は戦前に医学博士髙橋孝太郎によって考案された滋養強壮飲料ら...続きを読む >

南の高坏の蓋

報告書探索余滴  これは鹿児島県指宿市「南摺ヶ浜遺跡」の弥生時代終末~古墳時代前期中葉頃の壺棺墓の実測図だ。 左は10号で中津野式(弥生時代終末期)の土器が、右2列は13号壺棺墓で東原式(古墳時代前期中葉)の土器が使われているのだそうだ。(鹿児島、特に薩摩半島の土器はよくわからないので報告者によるとだが) ご覧の通り壺棺の蓋には高坏が使われている。以前、高坏には埋葬に際して死者の霊を封じ込める蓋と...続きを読む >

ナニです

報告書探索脱線シリーズ鹿児島県の発掘調査報告書をつらつら眺めていると、どの本だったか忘れましたが石棒集成がありました。これは、いわゆるあれです。「イ・チ・モ・ツ!」Donna Summer - Hot Stuff...続きを読む >

しゃもじ男

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(41) 「上野原遺跡」よりこのあやしげなスキンヘッドのしゃもじ男は田の神さぁだろうか土人形の凹型だ。鹿児島上野原遺跡のもの。発掘調査報告書探索脱線シリーズMadeleine Peyroux - I Can't Stop Loving You...続きを読む >

オーバーフェンダー下駄

 『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(48) 「垂水・宮之城島津家屋敷跡」 より右の陶製缶詰(多分、大日本防空食糧株式会社のもの)に気を取られていたのだが、よく見ると近世の下駄もすごい。足を載せる部分は狭くて歯の部分が横に大きく張り出している!報告書探索脱線シリーズNeil Young & Stray Gators - Out On The Weekend / Old Man...続きを読む >

怪しい土面

 『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(48) 「垂水・宮之城島津家屋敷跡」 より型造りの土人形や土面もなかなか面白くて、お多福はわかるのだが、下の怪しい顔は火男だろうか?Roxette - Heart of gold...続きを読む >

鬼か獅子か?

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(48) 「垂水・宮之城島津家屋敷跡」 よりこの瓦質の台付き鉢のモチーフは鬼人か獅子かはたまた・・・・報告書探索脱線シリーズLee Ann Womack - Out On the Weekend...続きを読む >

涼むオヤジ

  この合わせ型の土人形、実際は猿なんだろうけど、実測図はどう見ても縁台で夕涼みしているハゲオヤジに見えてしまう。 お墓に供えられた土人形だけに「アホシリーズ」で取り上げると祟られるかもしれないので「考古学」カテゴリーに組み込む(笑)別件で発掘調査報告書なんぞをあさっていると、こんな面白い物件に気を取られて、本筋がなかなか進まない。どこのものかというと、鹿児島県の姶良市「平松原遺跡」の近世墓地の包...続きを読む >

遅くなった?

 遺跡資料リポジトリがいつの間にか奈文研に移っていて、以前より報告書アップのスピードが遅くなっていると思うのは気のせいだろうか? 現在の所(2016.7.23)まだ2015年度の報告書は見ることができないようだ。仕方が無いので、2013,2014年度発行の宮崎県関係発掘調査報告書で目に付いた弥生時代関係の遺物についてざっと目を通してみた。大規模開発が一段落したのか新規の報告書は少なくて、中でも弥生時代は低調だ。...続きを読む >

宮崎の弥生時代 20

「高千穂」と宮崎平野・・・エピローグ  例えば「ニセフクロモモンガ」、「ニセアカシヤ」や「ガビアルモドキ」、「ヒラタコクヌストモドキ」など、よく似たものを、先に名付けられた動植物などの名前の頭尾にニセ、モドキなどの言葉を付けて表現することがある。類似の言葉にダマシというのもあって、「トリノフンダマシ」などはその例だ。最悪はそれらを総て押しつけられた、「ニセキノコモドキダマシ」なんて哀れな植物も存在...続きを読む >

宮崎の弥生時代19

「高千穂」と宮崎平野山の土器  免田式土器の在り方と関係するのかどうかは解らないが、山岳寄りの地域に特有の土器がある。昔から、若干の揶揄を込めて「山の土器」と呼んでいる一群がそれだ。  「山の土器」とは器壁が厚くて粗雑かつ繁縟な装飾が程される甕のことで、その他の器種は存在しない。上図の左2列の土器は臼杵郡の高千穂一帯に展開する土器でいわば「北の山の土器」とでも呼べようか。基本的な土器のセットの甕と...続きを読む >

宮崎の弥生時代 18

「高千穂」と宮崎平野18・宮崎における免田式土器の動向  過去記事にチラッチラと影だけ見せていた「免田式」土器だが、その後紹介するのを失念していて、何ともまあ間の抜けた話になっていた。遅ればせながら、終末に近いこの回であわてて説明しよう。  「免田式」土器の紹介といっても、最近の研究動向には疎いので、あくまで重弧文長頸壺を中心として、重弧文あるいは類似の紋様が施紋される土器について扱かってみた。&#...続きを読む >

宮崎の弥生時代 17

「高千穂」と宮崎平野17「貝の道」  南海産大型巻貝であるゴホウラやイモガイなどの貝殻で造られた腕輪類は、弥生時代や古墳時代の権力者の装飾品=威信材として、特に北部九州の首長層に珍重された。  「貝の道」とは、琉球列島などの採取地から最終消費地である(主として)北部九州に至るまでの交易(加工・運搬)ルートのことだ。  木下尚子「南から見た貝の道-二つの交易路のもたらしたもの-」『南島貝文化...続きを読む >

宮崎の弥生時代 16

高千穂と宮崎平野16④区画墓の登場 宮崎の弥生時代墓については以前に概要を示した(宮崎の弥生時代 11)。 再度、おさらいをして置こう。①後期の終わり頃になって、集団墓が各地に形成され始めるが、この時期になってようやく周りから溝などで区画する墓が出現するようだ。集団における有力者層の出現だ。②この時期の県央部の区画墓には瀬戸内系の玉葱形をした長頸装飾壺(吉備的様相及)や大型器台、高坏(西部瀬戸内的様...続きを読む >

宮崎の弥生時代 15

「高千穂」と宮崎平野15③線刻紋(土器)の流入  瀬戸内系土器の流入が衰えると、かわって絵画紋土器、記号文土器などの線刻文土器が日向の地で見られるようになる。  線刻文は畿内や瀬戸内沿岸、日向で盛行するが特に畿内と日向に顕著である。畿内では絵画紋(中期)→記号文(後期)と推移するが、日向では後期(特に後半)にほぼ同時に採用される。施紋されるのは日向在地の土器というところが前代の瀬戸内系土器の流入とは...続きを読む >

宮崎の弥生時代 14

「高千穂」と宮崎平野14②石器石材の転換・・・北部九州系から瀬戸内系へ  上の図は宮崎出土の柱状片刃石斧の一部だ。図では扁平片刃石斧と間違って表記している(笑)  扁平片刃石斧はもっと板状に扁平になる。稲作農耕文化のセットとして朝鮮半島経由で渡来してきた木材の加工具で大陸系磨製石器(の一部)とも呼ばれている。近年、石器の素材や製作技術の研究が進んできて、それまで注意を払われてこなかった石器の製作地...続きを読む >

宮崎の弥生時代 13

「高千穂」と宮崎平野13瀬戸内地方・畿内との交流  「弥生時代の半ばから、この地(宮崎)は瀬戸内海の南北両岸地帯、とりわけ吉備地域との間の活発な交流の舞台だった。宮崎県側からみた瀬戸内像や畿内像語る。」という講座の主題にようやくたどり着いた。ここまででもう1時間以上経過している。あせってしまうが、開き直るしかないか(汗)  弥生時代の宮崎と瀬戸内・畿内地方との交流についてはオーソドックスに①瀬戸内...続きを読む >

宮崎の弥生時代 12

「高千穂」と宮崎平野12・花びらの形をした竪穴住居跡の話死者の住まいの次は生者の住まいについてトピック的に見ていこう。花弁状住居の話だ。  花弁状住居とは、竪穴部分の平面形が、竪穴住居中心部に向かって掘り残された壁(突出壁ともいう)のおかげで、まるで花びらのように見える住居の総称だ。1980年代以降の宮崎で随分と発掘された住居跡で、現在までに約80遺跡260軒ほどが知られている。竪穴平面形は基本的に円形と...続きを読む >

宮崎の弥生時代 11

「高千穂」と宮崎平野11・宮崎の弥生時代墓  墓はその属する集団の祭祀や社会的諸関係を考える上で重要な資料である。ところが、宮崎県を含む南部九州の弥生時代においては、墓の発見例の少なさが、弥生時代像を描き出す上で大きな壁となっていた。  2014年現在、宮崎の弥生時代墓地の数は28遺跡。区画墓、土壙墓併せておよそ320基ほどの墓が調査報告されている。一昔前に宮崎には墓が無いと叫んでいた身としては、予想外に...続きを読む >

宮崎の弥生時代 10

「高千穂」と宮崎平野10     前回、宮崎の環濠集落をⅠ東九州(北部九州)主体型:   遠賀川式系統の壺と下城式の甕のセットが主体となる環濠集落Ⅱ共存型(転換型):   下城式(遠賀川式土器を含む)と入来・山之口式が共存する環濠集落   転換型は下城式主体から入来・山ノ口式主体に変わる、あるいはその逆Ⅲ南九州主体型:   入来・山ノ口式が主体の環濠集落   の三つに分類した。このうち共存...続きを読む >

宮崎の弥生時代 9

「高千穂」と宮崎平野 9・宮崎の環濠(環壕)集落  環濠集落は水稲農耕開始期に、おそらくは水稲農耕技術体系と共に大陸から伝わった集落形態で、縄文時代晩期(弥生時代早期)にその最初の姿を現す。その性格については、諸説存在するが、防御的な性格を帯びていたことには間違いないだろう。水稲農耕開始期には、周囲の縄文的在地集団と、発展期には隣接する農業共同体との軋轢が考えられる。  宮崎では本格的な水稲農...続きを読む >

宮崎の弥生時代(怪力乱神を語らず改め) 8

「高千穂」と宮崎平野 8・黒髪式系土器の分布  黒髪式土器は肥後地方の弥生中期を代表する土器形式で、大きくはⅠ式、Ⅱ式の2時期に細分される。黒髪式については不勉強であまり良く理解できていないのだが、南の人間からすれば大づかみ須玖式のバリエーションに見える。鋤先状を呈する口縁部や新しい時期の上方に湾曲している甕口縁などが特徴的だ。黒髪式土器そのもの流入は希薄なのだが、中期後半~末以降、黒髪式の系統の土...続きを読む >